「私の助け」
「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。」 旧約聖書 詩篇 121篇 1節
木更津の冬は、東京湾の向こうに富士山がとても美しく見える季節です。人が海や山を見ると、自分の小ささを覚え、弱さを感じます。
人は皆心のどこかで自分を認め、愛し、守り、導いてくれる、自分より強い味方を求め、必要としているのではないでしょうか。
「私の助けは主からくる。天地を造られたお方から。」 旧約聖書 詩篇 121篇 2節
聖書によれば、人が偉大さを覚える海や山以上に大きな助けが私たちに与えられると言われています。その助けは、海や山を造られ、
私たちもお造りになられた万物の創造主、唯一の神であられる「天地を造られたお方」からくるのです。聖書が教える私たちの神は、
私たちのことをどのように思われているでしょうか。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは、御子を信じる者が一人として滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。」 新約聖書 ヨハネの福音書 3章 16節
神は私たちお一人お一人を愛しておられます。その愛のゆえに、神様は私たちに一番必要な助けを与えようとされています。それは、
聖書が言われる「滅び」から救われることです。私たちは聖なる神の御前では皆有罪な罪人です。その罪の刑罰は聖書が「滅び」と
言われる、私たちを造られた神から永遠と断絶されてしまう場所、地獄を表しています。神は人から遠く離れていると感じてしまうのも、
実際私たちが神にも天国にも届かないのも、私たちを造られた神ではなく、私たちの罪が原因となっています。
「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、」 新約聖書 ローマ人への手紙 3章 23節
私たちの罪が赦され、それに伴う刑罰から救われ、神と和解
させられ、天国に行くことは、私たちの行いや力では不可能で
あるため、必ず助けが必要となります。私たちには皆、登れ
ない山が必ずあり、てっぺんに届くには誰かの助けと案内が
必要となります。私たちは抱えている罪のゆえに神のところに
届かなかったからこそ、神様から私たちのところへイエス・
キリストを遣わしてくださったのです。
「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、
値なしに義と認められるからです。」
新約聖書 ローマ人への手紙 3章 24節
子供が親の腕に持ち上げられることや、乗客が運転手に頼る
のも、自分には届かないところに行くために誰かに頼ること
は、完全にその助けにかけて、信じ、委ねることです。イエス様
は私たちには不可能である罪の赦しと、私たちには届かない
天国を、ただイエス様のみを自分の救い主として受け入れ、
信じることによって約束してくださいます。今、あなたを救える
唯一の御名、イエス・キリストを信じて救われませんか?
「『主の御名を呼び求める者はみな救われる』のです。」
新約聖書 ローマ人への手紙 10章 13節