「十字架のことば」
「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」
新約聖書 コリント人への手紙 第一 1篇 18節
十字架といえば、どのようなイメージが思い浮かぶでしょうか。特にキリスト教の歴史が薄い日本では、結婚式の会場や教会の外に飾ってある
十字架をたまに見たりすることがあったとしても、その十字架と自分との関係は最初はなかなか分かりにくいと思います。むしろ、十字架は、
西洋の宗教のシンボルと思うのが一般的かも知れません。
「ある者たちは、『このおしゃべりは、何が言いたいのか』と言い、他の者たちは『彼は他国の神々の宣伝者のようだ』と言った。パウロが、イエス
の復活を宣べ伝えていたからである。」 新約聖書 使徒の働き 17篇 18節 後半
「十字架」、「イエス・キリスト」、「救い」という言葉は、クリスチャンでなければ最初はピンとこない内容かもしれませんが、聖書によれば、日本を
含み、クリスチャンでない人々も含み、世界中のすべての人々に関係するとても大切なものなのです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つ
ためである。」 新約聖書 ヨハネの福音書 3篇 16節聖書が教える神は、すべてのものを創造され支配なさる唯一の神です。その神は
世を造られただけではなく、「世を愛された」と聖書に書かれています。それはもちろん、日本人、またクリスチャンでない人々も含まれています。
「一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つため」、つまり、私たちの「救い」のために捧げられた「イエス・キリスト」の「十字架」での犠牲が
神様から私たちへの愛の最大な証となっています。
「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために
死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかに
しておられます。」 新約聖書 ローマ人への手紙 5章 8節
国や信仰に関わらず、人は皆完璧な神の御前では有罪な罪人です。
私たちは皆その罪の刑罰として神の裁きを受け、神から断絶され、
永遠に滅びてしまうことが当たり前でした。しかし神様は、「ご自分
の愛」の故に、私たちをその滅びから救うために完璧で罪のない
御子イエス・キリストを私たちの身代わりとして十字架に付け、私たち
の罪の代価を払ってくださったのです。十字架は日本を含み、神から
全世界へ与えられた愛の証であり、救いの道です。その十字架で
死んでくださったイエス・キリストのみを自分の救い主として受け入れ
信じる者は、国や背景など関係なく、神様が滅びから救ってくださり、
天国を約束してくださるのです。
「ユダヤ人とギリシヤ人の区別はありません。同じ主がすべての人の
主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えに
なるからです。」 新約聖書 ローマ人への手紙 10章 12節
神様があなたのためにご自分の愛を明らかにし、救いの道を与える
ために送られ、あなたのためにあの十字架に付けられたイエス・
キリストを今、自分の救い主として信じ、救われませんか?