「新しい人」
「新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。」
新約聖書 コロサイ人への手紙 3章 10節
私たちをそれぞれ意味を持って造られた万物の創造主、全知全能である唯一の神様は、私たちを「新しい人」にさせようとされています。新たな歩みがあちこちで始まるこの季節には特に、「新しい自分」を探し求めている人々が多くおられると思います。神様が私たちの中に造られようとされているこの「新しい人」とは、どのようなものでしょうか。
「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。」
新約聖書 コロサイ人への手紙 3章 15節 前半
現代、世界中の状況を表すにも、人々の心の状態を表すにも、「平和」であるとは言い難いでしょう。キリストは私たちの不安の多い人生に、「平和」を与えようとされています。聖書に「平和の君」と呼ばれる「キリスト」と「平和」のつながりは、どこにあるのでしょうか。
「ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがあを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」
新約聖書 コロサイ人への手紙 3章 12~13節
上の箇所の中旬に書かれている「~なさい」の部分のみを取れば、人々が皆そのように生きれば平和になることはほとんどの人が納得すると思います。しかし、いくら努力してもそのような自分になれないのが現実ではないでしょうか。この箇所の鍵は、中旬ではなく、最初と最後にあるみことば、特に「主があなたがたを赦してくださったように」です。
お金を持っていない人がお金を貸すことのできないのと同じく、神様と平和を持っていない人が本当の平安を体験することは不可能です。神様は聖なるお方ですが、私たちは皆心に自己中心性を含む神様に背く性質、聖書が「罪」と呼ばれるものを持っています。イエス・キリストは私たちの身代わりとして、私たちが永遠に滅びることによって払うべきであった罪の代価を二千年前あの十字架で払い、三日後によみがえられました。罪からの救いと赦しから始まる神様との和解、「キリストの平和」は、私たちがただイエス様を自分の唯一の救い主として信じ委ねれば、誰にでも与えられる神様からの賜物であり、さらに天国も約束されます。その救いを受け取った者が、「神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者」となるのです。
「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。」
新約聖書 エペソ人への手紙 2章 8節
今、キリストを自分の救い主として信じ、「キリストの平和」を受け取りませんか。